季節が進み、秋の装いになってきました。お店にカーディガンが並んでいたので、母ハム子さんにプレゼントしようと選びました。ハム子さんが「きれいな色」と喜びそうな薄紫色です。
薄紫色のカーディガンをプレゼント——喜んで着る母

カーディガンを渡すと、期待通り
「きれいな色ね」
と喜ぶハム子さん。色々並んでいる中で、ボタンの大きさやデザインが良さそうなものをじっくり選んだので、イメージ通りハム子さんに似合っていました。いいプレゼントができて、私もうれしかったです。
翌日はハム子さんと一緒の休みです。ハム子さんはプレゼントしたカーディガンを着て、部屋で過ごしていました。よかった、ちゃんと着てくれてる…。きれいな色ね、と言っただけで、部屋に飾ったまま着ないということもありましたから。
ハム子さんに声をかけて、買い物に誘いました。案の定、喜んで飛び起きるハム子さん。くつろいでいるとはいえ、一日中部屋にいるのは退屈なのでしょう。本人に一日中部屋にいたという記憶はありませんが、外出に誘うと喜びます。
ケアマネさんが来られたときに
「今日はどこか行かれたんですか?」
と訊かれ、午前中ドライブや買い物に行っていても
「家でゴロゴロしていただけです」
などとハム子さんが答え、ガクッとしたりしますが。
「こんなのどうだっていいのよ」——謙遜のタイミング
外に出て団地の敷地を歩きながら、
「そのカーディガン、気に入って着てくれてるみたいだね」
と言うと、ハム子さんは
「ああこれ?こんなのどうだっていいのよ、別に」
と答えました。
…え?どういうこと?
「こんなの、着られたらなんでもいいのよ」
私の頭はしばしフリーズしましたが、言葉の意味は理解できました。ハム子さんは服を褒められて、謙遜したのでしょう。私がプレゼントしたカーディガンだということを忘れて…。
勘違いの謙遜は理解できましたが、私の頭の中ではやりきれない思いや怒り、がっかりした感情などが一気に湧き上がり渦巻いていました。今日はもう一緒に買い物どころじゃない、無理だ…。
「今日はもう帰って」
ハム子さんはきょとんとしていましたが、そのまま一緒に団地に入り、部屋に戻ってもらいました。
部屋に戻り、今の会話をハム子さんに説明。私があげたカーディガンを、どうだっていいと答えたことを伝えると、
「そんなこと思っていない。そんなつもりじゃなかった」
と言って、ハム子さんは謝りました。
それは私もわかっていたことです。人を傷つけるようなことを、あえて言う人ではないと思っています。
ではなぜそんなにショックだったのか…。ハム子さんが喜んでくれた時点で、プレゼントの役目は終わっていたはずです。謙遜するほど、自分の服として認識してくれていたなら、むしろ喜ぶべきことなのでしょう。
失望と諦め——記憶が残らない母との距離感
私は普通の会話をしたかっただけなのに、いきなり頬を叩かれたような気分だったのです。そこまで大げさな出来事ではないのですが、結果的に私の中では大きなきっかけになりました。このときを境に、母と娘の温かな関わりを持とうとするのはやめました。
具体的には、ハム子さんを優先した過ごし方をしなくなりました。休みの日の買い物は、必ずハム子さんを誘って行っていましたが、私一人で行くことも増えました。一緒にドライブや買い物に行くこともありますが、それは私の気分次第で決めます。
もちろん、休みの日に私達夫婦とハム子さんの3人でお出かけすることはあります。ドライブして、道の駅で食事やスイーツを楽しんだり、野菜市を見て回ったり。基本的には、私達が行きたい場所にハム子さんも連れて行く、というスタンスです。
外食もハム子さんと一緒に行きますが、ハム子さん中心には決めません。私達が行きたいお店に行って、そこで好きなものを選んでもらいます。
「何がいいかわからない」
と悩みますが、ある程度好きそうなものをピックアップすると、大抵は自分で決めています。
ハム子さんを喜ばせよう、楽しんでもらおうとしなくても、結果的に楽しんでいるハム子さん。今はそれでいいと、私は思っています。ハム子さんの反応を期待して何かをするのは一時休止して、やりたいことだけ一緒にやる。そのうちにいい距離感が掴めるようになることを願って…。
次回は夫ちーちゃんからハム子さんへのプレゼント
夫ちーちゃんが、ハム子さんにクリスマスプレゼントを用意してくれました。暖かいパジャマなのですが…。次回はそのときの話をお伝えしますね。
読んでくださり、ありがとうございました!次回もお付き合いいただけるとうれしいです。
